岩手の盲ろう者友の会を辞めた後は口封じからどこの団体も生かせず誰一人関わらせない圧力は10年続き昨年のの講演会も通訳不在。派遣通訳は頼まず相談員と友の会事務佐々木聖子さんだけで言い訳一つ無い。情報センターに調査を願ったら説明不足を癇癪でガードされた。おまけに口封じの圧力も強まり年賀状は一つも来なくなり県庁の課長は協力していたことがセンターの密告から沈黙させられた。深まる疑問からセンターと友の会事務に疑問の質問して返事無しは3ヶ月に入った。
社会参加復権を賭けて温泉と当地の友の会との交流から再び栃木に単身向かうのに通訳介助チケットは3月厳守で届けると言って届かず、前日に一関の課長と相談員が揃ってチットなしでも心配ないと言う。これは知っているのに。友の会は県の看板団体で代返を頼まれたらしいこと。必死でかばう。言いだした本人が詫びるなり弁解なりすべきでないか。
栃木行きは要介護の身とは言え社会参加復権を求めての強行。 4月1日宇都宮駅で当地の友の会代表の上杉さんと通訳介助の大塚達夫さんが待っていた。
栃木は岩手の友の会に電話して岩手は許可するという形だと。 辞めていて本人の勝手のはず。今年は岩手国体の年で何も無かったことにしたいらしいのが判る。
通訳介助を頼む立場ではきつく言えず片道だけになって帰りはタクシーと電車になるかと思ったが温泉は30キロ以上離れていた。それを往復付き合ってくれ更にホテルや夕食まで付き合ってくれた。温泉は山の中かと思ったら広大な平原地帯の中だった。
次の日は大塚さんがホテルに迎えに来て共にバス停に。合計30人ほど来ていた。昨年通訳介助してくれた前栃木県聾唖協会長の高梨さんも来て再会した。 盲ろう者は4人。内一人が住所交換を申し出てきた。自分より一つ年下だった。お花見にしろ岩手は盲ろう者友の会、聾唖協会、難聴者の会、全通研の差別徹底で多勢の人と共に語り合うのは10年ぶりになる。6人位と話が出来近くの神社にも参拝した。
お花見会の場所は東雲公園と言って一関の釣山公園、盛岡の城跡公園の何倍もあった。桜の花は近くで見ると10センチ近くあった(レンズのせいらしい)。終わりに記念撮影して駅に向かい栃木の計らいから帰りもあわてず2人に見送って貰った。
理解、協力してくれた課長や栃木の人たちのおかげ楽しい思い出になり何一つトラブルも無く帰って来れた。
過去に全国大会の終わりに新横浜から一人で帰れと言われて鉄道員の指示で乗り換え4つを間違えずに帰ったことがある。